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アジャイルとスクラム

スクラムって、頑張って実践しようとするとむしろアジャイルじゃなくなるよね、という矛盾について。

スクラムとは

スクラムとは、アジャイルの開発手法の一つ。
役割や開発の工程、会議体などが決まっている。

といってもそこまで厳密に決まっているわけではなく、ある程度の「枠組み」だけが決められている。
細かい所は各チームで実践を通じて、それぞれに合わせて変化させていくことが求められる。

・・・といった理解。

アジャイルについても少し

アジャイルマニフェストにこんなものがある。

  • プロセスやツールよりも個人と対話を
  • 計画に従うことよりも変化への対応を

アジャイルにおいて大事な考えとして、決まりごとや慣習にこだわりすぎてはいけないというのがあると思う。

もちろん、意味のあることであれば続けることも必要だが、
「決まりだから」「いつもやってるから」という考えは危険である。

ちょっと違う事態に陥った時に対応できなくなるし、何よりチームとしての成長を妨げることになる。

つまり、アジャイルというのは不定形だ。
誰でも上手くいくような明瞭なプロセスは存在しないし、
あったとしてそれに満足して足を止めてしまったら、それはアジャイルではなくなっているのだろう。

スクラムアジャイル

スクラムはある程度のことが「決まっている」。
だが単純に「決まっている」ことに従うだけでは、アジャイルではなくなる。

ということは、スクラムを守ろうとするとアジャイルではなくなる。
だが、アジャイルであろうとすれば、スクラムの枠組みからははずれるかもしれない(これはチームによるけど)

スクラムとの付き合い方

ここまでスクラムを、どちらかというと否定的な意見を書いてきた。
だけど、スクラムは素晴らしい考えだと思う。僕自身を大きく成長させてくれた。

そう、成長させてくれた。ここにスクラムの大きな意味があると思う。

いきなりチームをアジャイルにするのは、難しい。
アジャイルは不定形で、非常に概念的だ。具体的にどうしたらよいかも分からない。

そこでスクラムなんだろう。
ある程度は決まっているから、まずは実践してみる、ということが可能だ。

そして実践を通じて、アジャイルになっていく。
最終的にはスクラムの枠組みからははずれるかもしれない。でも、それでもいいんだと思う。

まとめ(感想)

スクラムは、それ自体を実施することが重要なのではなく
スクラムを通じてアジャイルになる(もしくはアジャイルを保つ)ということが大事。 プロセスやツールよりもコミュニケーションを!